とある香水の匂い
それは、数十年前の話だ。私は仕事の都合で海外に行くことになり、一週間ほど滞在していた。当時は、異国の文化や風景に心を踊らせていたのを覚えている。観光も楽しんだし、ショッピングもした。中でも特に印象に残っているのは、香水を手に入れたことだ。異国特有の香りで、日本にはない独特の甘さとスパイスが混じった匂いが気に入っていた。
しかし、日本に帰ってきたその瞬間から、何かがおかしかった。成田空港に降り立ったとき、妙な違和感が私を襲ったのだ。日本に戻ったという安心感のはずなのに、どこか異世界にいるような感覚が離れなかった。
最初に気づいたのは、文字だ。看板や広告、メニューなど、日常的に目にする文字の一部が読めなくなっていた。どうしても理解できない漢字が突然出てくる。「こんな文字、あったか?」と自問自答するも、答えは出なかった。それだけではない。普通に使っていたはずの単語も、なぜか意味が曖昧になり始めた。普段使っていた日本語が、一部理解できなくなっていたのだ。
家族と話している時にも、私が言葉を選び間違えることが増えた。私が何を言っているのか、家族は時折眉をひそめた。「あなた、何かおかしいわね」と妻は言った。最初は冗談半分だったが、次第に心配する表情になっていった。
だが、私はその違和感を他人に明かさなかった。仕事も続けなければならなかったし、日常生活にも戻る必要があった。私自身も何とかこの現実に順応しようと努めた。家族には「疲れているだけだ」と言い訳をし、影でこっそりと勉強を始めた。意味が分からなくなった言葉を一つ一つ覚え直し、文字の勘違いを修正していった。
それから数十年経ち、私は表面上は普通の日本人として生きている。家族や友人も、あの頃の私の違和感についてはもう何も言わなくなった。私自身も、過去に起きた異変を忘れかけていた。
しかし、今でも引っかかっていることがある。あの時、海外に持って行ったスマホだ。もう今では使っていない古い機種だが、たまにそのデータを見返すことがある。そこには、意味不明の言語で書かれたメールがいくつか保存されている。どうやら当時、私自身が送受信していたものらしい。しかし、今ではその言葉がまるで理解できない。
あの香水を手に入れたその日から、私の何かが変わってしまったのだろうか。もう香水の匂いすら覚えていないが、あの時から私の中で何かが狂い始めたのは間違いない。
















